久々のブログ更新となってしまいました。
今週前半、何だか体がダルく、食欲も少々減退し、やる気が出ないという状態でした。
水曜には新橋でのライブだったのですが、リハーサル後には少々グッタリ。
れいかと益美ちゃんに、「これは一体どうしたことなのだろうか?」と言ってみたら、「夏バテじゃないんですか?」
「ああ、そうなのか……なるほどね~」でした。
夏バテなんて経験したことがないし、「そんなもん、自分には全然関係ない」と思っていたので、言われてようやく気付いた次第なのです。
まさに「夏バテしている男……」って感じで、少々ナサケナイです。
翌日は、冷房はもちろん扇風機もかけずに汗を流して、しっかり飲み食いしてゴロゴロしていました。
それだけで、一気に元気になりました!
夏の暑さに関して、先日、父がこんなことを言いました。
「熱中症ってのは、どんどん増えてるんだな~」
今年80歳になる父は、「この人に人生経験というものはあるのか?」と思えるほどの世間知らずの男であり、呆れかえるしかないようなことを、ごくしばしば言い出します。
そんな発言の数々は、ブログネタとして貴重なのでいずれあらためて。
ともあれこの時も、「そんなことないだろ?」と思いましたが、ちょっと調べてみました。
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<Wikipediaより「熱中症」についての一文>
「日射病とは違い、室内でも発症するケースが多く、年々増加傾向にある。その背景の一つとしてエアコンの増加による熱のこもりやすい建築物の構造の変化が挙げられる」
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確かに「年々増加傾向にある」と書いてありますけど、エアコンの普及度合いはかつてとは比べものにならず、さらには、私が小学生の頃は、夏休みのプリントには「暑いからと言ってたくさん水を飲んではいけません」なんて書いてあったし、高校生の頃でも「運動中の水分補給は厳禁」などという、今考えれば無茶苦茶なことが「常識」とされていた……。
その頃の方が、今よりもはるかに、熱中症の数も、死に至る人数も多かったに違いないはずなのです。
だから、「年々増加傾向がある」と書いてあっても、「ホントかな~?」という思いは拭い去れません。
でも、確かに言える事は3つあると思います。
1つは、エアコンの室外機と車の排気ガスと街のコンクリート化は、明らかに気温を上げており、それが熱中症の大きな一因となっているということ。
2つ目は、エアコンの普及が、暑さに耐えられない体質の人を増やしているということ。
冷房が苦手な私が今まで夏バテとは無縁だったので、これはとっても実感できます。
3つ目は「熱中症」という言葉が流布したから、被害者?が増えたということ。
かつてなら、「暑気あたり」「霍乱」「過度の夏バテ」と表現されたケースが、すべて「熱中症」といういう括りに入れられれば、その数が増えるのは当然です。
「熱中症」という言葉なら、流布することによって、予防策や対処法も流布されやすくなるというメリットはあるでしょう。
しかし、「はじめに言葉ありき」……言葉があるからそういう現象が起こるというのは、まさに真理でしかありません。
問題なのは、現象が起こるだけではなく、その「被害」が言葉によって拡大する場合だと思うのです。
「パワハラ」なんて、とってもわかりやすい例でしょうね。
昔なら、
「フザケンナヨ!」
「イツカ見返シテヤル!」
「コノウラミハラサデオクベキカ……」
「ヤメテヤルヨ、コンナ会社!」
と思っていた人……その内の何割かが、「パワハラ」という言葉ができたことによって、「自分は被害者だ」と思い込み、怒りをバネにするのではなく、落ち込んだり、心を病んでしまったりする。
また、かつてなら、「後になってみれば、ありがたい言葉だった」と思えるような上司や先輩の叱咤激励が、「今時はそういうこと言うと、ヤバいから」の意識で、封印されてしまうというケースも多々あるはずです。
だって、「頑張れ」とか「期待してるぞ!」という言葉ですら、パワハラとして訴えられてしまうケースもあるらしいじゃないですか。
低劣な「言葉狩り」と同様、実にクダランことだと思います。
「パワハラ」なんてのは会社ありきの言葉でしょうが、しかし、そういうことを考えると、やっぱり、マイナスイメージの言葉というのは、近付けない方がいいし、使っちゃいけないんだよな~と、つくづく思います。
我々の身近には、そういう言葉、常に存在してますから。
だから、どんなセミナーでも言ってますけど、「疲れた」「忙しい」は口にしちゃダメですね。
この2つの言葉、非常に身近で、実に安易に口にしてしまうけれども、しかし、「疲れた」と口にすれば、本当に疲れるし、運気も下がります。
「忙しい」も、あたりさわりのない「言い訳」になるから口にしやすいけど、「言い訳」そのものが、信用低下&運気下降に直結する行動です。
こういう大事なことをきちんと伝えることが何より大事だと、常々私は思っているのです。
皆さん、「疲れた」「忙しい」は、運気低下の典型ワードですから、「使っちゃダメ!」と明確に認識することが必要ですよ。
しかしながら、こういうことを考え、書いていると、はるか昔に「はじめに言葉ありき」という一文を記した「聖書」というものは驚異的な存在であると同時に、文化は桁違いに発展しながらも、2000年前の人の教えを規範として生きる現代人が、世界の総人口の半数以上も存在するという事実には、つくづく納得せざるを得ないと思うばかりの三洞なのです。